母という言葉がすでに凶器←
私の両親は5歳の頃離婚した。
母は不倫していた。
いやw会わせられたもんw
アーモンドチョコレートもらったもんw
お酒に溺れ、男にも溺れた。
プールでも溺れてくれれば良かったのに。笑
父は必死で働いていた。
実は私、5歳までの記憶がほとんどない。
暴力振るわれてたのも覚えてないし、
育児放棄されてたのも覚えてない。
でも不倫相手にあった記憶はあるw
アーモンドチョコレートもらったからw
記憶がないからずっと
引っ越したあとも母に会いたかった。
小学校の夏休み?だったかな?
宿題の日記に、
『今日、お母さんに会いに行きました。』
と書いた。
泣かせんなよ☆←
それを提出してしばらくして
父がその日記を持って私を呼んだ。
呼んだってか来たw
どういう事か聞いてきた。
先生が連絡したそうな。余計な事を←
たぶん家族みんな思っただろう。
この子は日記を最後に溜めて書いたから書くことがなかったんだろう。と。
なんて嫌な家族( •́ •̀ )笑
その通りだった。←
日記なんて最終日に泣きながら書いてた。
会いたい気持ちはもちろんあった。
だから思わず書いたのかもしれない。
父は非常にショックを受けた顔をしていた。
ような気がする。
それを見て私は泣いた。
ような気がする。
そんな日を過ごしながら中学生の頃。
ひょんな事から母と会うことになった。
母が暮らす街まで電車で行った。
久しぶりにあった母は泣いていた。
私、人見知り発動←
今じゃないだろw
母は不倫相手とは別れ、別の男性と
暮らしていた。
部屋にはケン●ッキーが用意されていた。
なぜw?
母に会えたその時の感情を今でも覚えてる。
もう、会わないんだろうな。と。
朝、嘘をついて家を出てきた。
言えなかった。
父を裏切るのはもうやめようと。
帰りにお金を渡された。
5000円か10000円←
父には内緒にした。
嘘をついたからじゃない。
漫画本のちゃおを買いたかったから☆殴
それから社会人になるまで会うことはなかった。
子供産んでからしゃーなしに会いに行った
親孝行な私。
母は孫を可愛いと言ってくれた。
いつでも来てくれと言ってくれた。
今更感が否めないよw
でもそれも長く続かなかった。
更年期なのかなんなのか分からない。
急に罵詈雑言の嵐。
「あんたなんて産むつもりなかった」
「お兄ちゃんだけで良かった」
避妊しろ←
「女の子なんていらなかった」
祈れ←
メンタル豆腐の私は潰れた。
愛してくれとは言わない。
でも、産んだ事は否定しないで欲しかった。
距離を置けば、会いたいと言われる。
行かなきゃいいのに行ってしまう。
期待してしまう。
そんなグラグラの乳歯のような私にも
我慢の限界がきた。
『産んだ子供が可哀想』
『あんたに育てれるわけがない』
『堕ろせば良かったのに』
『あー可哀想』
『なんかおばあちゃんって呼ばれるのも本意じゃない』
はい。むりーーーーー☆
どの口が言ってんだよw
私の子供は私が守る。
この子の成長に母の存在は必要ない。
と感じた私は連絡を拒否した。
繋がるものはもうない。
間違っているのかもしれない。
おばあちゃんを奪う権利なんて
ないのかもしれない。
あ。おばあちゃんって呼ばれるの本意じゃないんだっけ?
B☆B☆A☆
母は偉大だ。
産んでくれた事本当に感謝してる。
でも、私は尊敬できない。
母は私の存在を否定した。
私は子供の存在を否定なんか出来ない。
大切な我が子なのだ。
あっかんべーーーーー☆
~同情するなら大金をくれ~ [完]
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ではまた次回お会いしましょう(∵`)
アーモンドチョコレートくれる人には
気をつけるんだぞ♡
ばいばい( ´ω`)ノ