大動脈解離の恐怖←
大動脈解離とは?
大動脈解離(だいどうみゃくかいり、英: Aortic dissection)とは、3層構造を作っている大動脈のうち、何らかのきっかけで真ん中の層の膜(中膜)に血流が入り込み、層構造が別々に剥がれていく(解離してしまう)疾患。
なお、大動脈解離と解離性大動脈瘤(かいりせいだいどうみゃくりゅう、dissecting aneurysm of the aorta)を混同しないよう留意されたい。この症例においては特に瘤形成を認めないことも多く、前述の症状の中でも、大動脈の径が拡大して瘤形成を認めた場合にのみ「解離性大動脈瘤」と呼ばれるからである。
強烈な痛みは患者の96%に見られ、解離の場所を推定するのにも重要な症状である。しかし解離が腹部大動脈まで及ぶと「全身を動き回るように痛む」とも言われている。加藤茶が、2008年にStanford Aを発症した際の痛みとして述べたことがある。心不全症状を起こすこともあるほか、初発症状が突然死であることもある。また、解離によって血圧の上昇または低下が起こるほか、胸水の貯留が見られることもある。(Wikipedia引用)
私の父は病気だ。
解離性大動脈瘤である。
初めて父が病気になったのは、
今から8年前の事だった。
夜、父が言った。
『なんか背中苦しいからマッサージして欲しい』
別に違和感などなかった。
普通にプロもびっくりなマッサージを施した。
終わってから当時の彼氏と寝た。
性的な意味ちゃうで←
夜中にあまりの背中の苦しさから
兄を起こしてマッサージを求めたそうだ。
しかし兄もまた
起こされるのが嫌いな人間だった。
『そんな苦しいなら病院行けば?』
結局お前が送ってく事になるんやで☆←
兄が発言を後悔しながら夜間の病院に
連れていった。
私、爆睡中。
病院につき、よく分からないけど
速攻で救急車に乗せられ医大病院へと
運ばれたらしい。
朝、私は起床し
彼氏を職場まで送っていったのだ。
家族がいない事にすら気付かない親不孝者☆
兄から電話が来た。
『おとんが入院した。救急車できたから迎えに来てくれ。』
え?
なんで?
そんな気持ちを堪え、
『わかった。』と一言。
しつこく聞かなかったのは兄の声が震えていたから。
45分くらいかけて、兄と合流。
『会わない方がいい。』
……………。
『管に繋がれてるから。』
………………。
『それでもいいよ。別に。』
私はすぐに泣く。
はじめてのおつかいはオープニングで泣く。
兄は、父の姿を見て
私が辛い思いをするのではないか。
と思ったらしい。
それでも私は面会に行った。
服を着させられ、消毒し、厳重な扉を2回開け、父に会えた。
泣いた。
『迷惑かけて悪いな。』
泣いた。
計3回の再発。
2回の大手術。
もう手術は二度と出来ないと言われた。
2回目の手術の後遺症で下半身麻痺。
そして寝たきりのためにできてしまった褥瘡。
つまり床擦れ。
父の体は骨と皮のみ。
きっと二度と病院の外には出られない。
歩く事も二度とない。
何度も病院から覚悟してくれと言われた。
でも今、生きている。
前にも書いたが、
身体がいつもと違うならそれは異常。
異常があるならプロにお願いするべきだ。
無知な自己判断は危険だ。
早く気付いてあげるのは
自分を大切にして、自分を理解出来ている証拠だ。
これを見た方が、この先後悔しないためにも。
そして、これを書いて自分自身に改めて言い聞かせるためにも。
何事も早いに越したことはない。
これから暑い季節になりますが、
体調を崩さないよう夏をEnjoyしましょう☆
~もう1度あの景色を見たいね。~ [完]
みーれいCH
ぜひよろしくお願いします(•ө•)♡
ではまたお会いしましょう😎💋
ばいばい( ´ω`)ノ